ひたすら自分と向き合う

自分に意識を向けることが、やっぱり全ての原点でした。

こんにちは、朋子です。

 

私は望みが出ない人だった

ということは

何度も書かせていただいていますが、

 

望みってのは

大きな夢とかではなくて、

 

日常生活での

「これ、こうだったらいいな」

「本当はこうだったら嬉しいな」

というようなことです。

 

わがまま言っちゃいけない。

そう思って生きてきたし、

我慢や遠慮も得意だったし、

「私なんかが、希望言ってもいいのかな」

という気持ちも大きかった。 

 

だけどこの

「私なんて」と拗ねた私は

本来の私ではなく、

 

今まで生きてきた中で

自分が傷つかないように

自分で自分を守る手段として

「私なんて」をやってるうちに、

 

やりたいことがわからなくなり

表現方法もわからなくなり

望み方を忘れてしまった

 

そういう経過だったように思います。

 

 

2017年からこのブログを書いていますが、 

やっと今年に入って少しずつ、

「望む」ということがわかってきました。

 

日常生活の中で、

 

こうだったらいいなぁ

ああだったらいいなぁ

あれやってみたいなぁ

 

そうやって軽く思うだけでいいんだ。

それが「望む」ってことなんだ。

 

「こうだったらほんとに嬉しいな」

その素直な気持ちを自分でキャッチして、

 

そうなったらめちゃ嬉しいね!って

自分で自分に寄り添って

本音を拾ってあげるだけでいいんだ。

 

そんなこと、

小学生くらいの時から

ずっと忘れ去っていました。

 

私の場合、

自分より相手優先、相手が大事

全て相手に合わせる

ということを長年やってきて

本当に自分がわからなくなっていたので、

 

まず

「自分の気持ちを封印しない」

「相手へ向けた意識を自分に戻す」

ということをやってきました。

 

自分の今の気分はどうか?

何を感じているか?

何を考えてるか?

 

いつもそこに意識を向けました。

ただ今の自分の気分や思考に

意識を向けて、

 

そうか、そういう気分なんだ。

そうか、そう思ってるんだ。

って、ただ受け止めるだけです。

 

 

これがやっぱり

私にとっては原点だったし

全てのスタートだったと思うんです。

 

なので、もし今、

自分の気持ちを封印してしまう

クセがついている方、

自分の本音が自分でもわからない

という方がいらしたら、

 

是非、

人に向けていた意識を

自分に向け直して

自分の気持ちや気分に気づいてあげる。

 

ここから始めてみて欲しいです。

 

きっと、

気づいてもらって嬉しい!

という自分の魂の喜びが

「体感」として感じられます。

 

じーんとくる感覚だったり、

何とも言えない満足感だったり。

 

自分でも嬉しくなって、

もっと気づいてあげたい!

と思うようになっていきます。 

 

そうなっていくと徐々に

「望み」が出るようになります。

 

望みって要は

自分のその時の「本音」だから、

 

自分に意識を向け直して

自分の素直な気持ちそのまんまを

受け止めてあげられるようでないと

なかなか「望み」って出ないんだなぁ。

 

って思ってます。

 

私のように

ガッチリ外側意識だった人ほど

そうなのかもしれません。

 

どちらにしても

焦らずいきましょう!

 

今夜は満月です♡

Good Night, Full Moon, Moonlight, Night, Moon, Mood

※画像は今夜の満月ではありません。笑

 

ではまたー!