ひたすら自分と向き合う

全ては「嬉しい」を感じるため。

こんにちは、朋子です。

 

私は4~5年前までは

「望む」ということが苦手でした。

 

よく、

ノートに望みを書き出して

ワクワクしましょう

いい気分を味わいましょう

 

っていうのがありますが、

 

その頃の私はまだ

望みを出して気分が良くなる

という段階にいなくて、

 

望みを書いてみても

「そんなの無理に決まってる」

という、

望みを潰す声のほうが

自分の中で大きかったので、

 

望みを書いても

気分が良くなるどころか

虚しさや無価値感が溢れて

気分が悪くなる

 

という状況でした。w

 

…それで、

 

この「望めない」という状況から

自然に「こんなのがいい」と

思えるようになる過程の中で

 

すごく面白い気づきがあって、

 

それは

 

私の魂が

私に望ませるために

 

なかなかに

パンチのある出来事を

見せてくる

 

ということなんです。w

 

それだけ私は

望むということが出来なかった

 

または

望まないほうに焦点を当てて

これでいい、これで充分、と

無理矢理満足しようとしていた

 

ということなんです。

 

「望む」って言うと何か

かしこまった感じもしますが、

 

ただ単に

「こうなったら嬉しい」

「こういうのが好み」

 

ということを

素直に思ったり言ったりしてるか?

ってことだと思うんです。

 

素直に、本音で、

ってのがポイント。

 

それで、

 

私の魂は

その「望む」ということを

なかなかやってこない私に対して、

 

「こんなの嫌だ!」

と強烈に思わせるような

パンチの効いた出来事を

起こしたり見せたりして、

 

「こういうのじゃなくて、

こういうのがいい!」

と強烈に望ませる

 

…ということを

度々やってくる訳です。w

 

それに気づいたので

 

「パンチの効いた

出来事がなくても

私は普段から

望みを出せますので

大丈夫です」

 

と自分に宣言して、w

 

普段から気軽に望んでいこう、

と思った訳なんです。

 

(パンチのある出来事についての

過去記事がありました↓)

yuuhotoissho.hatenablog.com

 

 

それで、

最近よく思ってることなんですが、

 

私が人生で一番味わいたい感情って

「嬉しい」だなって思うんです。

 

「嬉しい」をたくさん自分に

味わわせてあげたい。

 

自分の思考、行動など

すべてを

自分が「嬉しい」と

感じることのために

使いたい。

って、最近すごく思うんです。

 

「望む」という表現だと

それを叶えたいという気持ちも

入ってきがちだけど、

 

なぜ叶えたいかって

「そうなったら嬉しいから」で、

 

望み自体を自分で否定しなければ

望みを想像するだけで

ふわっと嬉しい気持ちに

なれるんです。

 

「嬉しい気持ちになれるから望む」

っていうシンプルなことだと思うんです。

 

望むことの本質って、

 

どうだったら自分が嬉しいか?

という、

遠慮のない素直な「本音」を

否定しないこと

だと思うから、

 

それって

どこまでも自分のためで

 

望み=本音=歓び

=自分を愛すること

だなって思います。

 

だから

 

叶う叶わないは関係なく

本当はこうがいいなぁ、という

本音を自分でキャッチして

「嬉しい」を味わっていきたいな、

と思ってます。

 

望む目的は

「嬉しい」を味わうためです。

 

朋子