【いい人のやめ方3つ】いい人と自己肯定感との関係
自分がわからなくなる理由のひとつに
子供のころから
「いい子いい人を過度に目指してきた」
というのがあります

いい子・いい人・常識人であること
これを家でも学校でも社会でも
目指して生きていると
自分のその「基準」から外れることや
人とは違う私の感覚や気持ちを
「基準外」として無視するようになります
長らくそれをやっていると
自分がわからなくなります
(私がそうでした)
こういう方というのは
とても真面目なのです
先生の話をきちんと聞いて
人に迷惑をかけないように
自分のことは自分でやる
そういうしっかりした方なのです
何も悪いことではありません
素敵なことです
ただ、それが「過度」になると
どんどん自分に厳しくなっていくので
「自分をフラットな目で見られない」
という状態になります
実はこれは
人生に影響を与える結構大きなことだと
私は思っています
どういうことかというと
最初はいい子いい人を
「目指す」という位置にいたはずが
いつの間にかいい子いい人でいるのは
「当たり前」になっていきます
そうすると
その基準に当てはまらない自分を
厳しく否定してしまいます
それだけではなく
出来た
良かった
評価された
嬉しかった
やりきって満足した
達成感とやりがいを感じた
そういう時にさえ
「出来て当たり前」が発動するので
「これくらい普通」となり
出来た自分を認めたり喜んだり
満足しなくなります
つまり
喜ぶべきところで喜べないのです
ここが大きなポイントなのです
私達は人生において
幸せ 喜び 安心感 嬉しさ
こういう気持ちを味わうからこそ
豊かな人生になっていきますが
そこへの反応が鈍くなります
幸せ感度が弱まるのです
些細なことでは
幸せだと感じられなくなります
これは
人間として生きていくうえで
相当勿体ないことで
これが
「自己肯定感の低さ」に繋がっていると
私は思うのです
自分のダメだと思うところを
否定してしまうだけでなく
自分の良いところも認められない
これがいわゆる
「自己肯定感が低い」
ということだと思うのです
ではどうしたらいいのか?
1,良いところはしっかり認める
よくアスリートの方などが
良い結果を残しても
「これに満足せず次を目指します」
と言いますが
彼らはそう言ったからとて
自分を評価していない訳ではありません
アスリートの方々の自分を見る目は
とてもフラットです
自分がやってきたこと
良かったところは
しっかり認めたうえで
今後に繋げます
自分のやってきたことを評価する
喜ぶときは喜び、満足する
自分を認め、応援する
これは本当に大事なことで
ポイントとしては
大きな成果を出したから評価する
ということではなく
やってきた経過を認めて
評価していくのが重要です
2,いい人をやめる
いい人をやめると言っても
何をどう止めたらいいのか?
と思いますよね
まず
あなたが思っている「いい人像」
というのがあります
どういう人が「いい人」だと思うか?
どういう人になろうとしているか?
例えば
頼まれごとを快く引き受ける人を
「いい人」だと思っていて
そうなろうと思っているとか
色々あると思います
次にその中で
本当は無理してそうなろうとしている
本当は嫌だと思っている
それに気づいたらやめていきます
やめたり断ったり
今まで言わなかったことを言ったり
逆に今まで言っていたことを
言わないようになったり
言動が変わっていくでしょう
あなたが言動を変えた時
もし周りが受け入れてくれたら
心からの感謝を伝えましょう
というか
自分が勇気を出して言動を変えた時
それを周りが受け入れてくれたら
自然と感謝が湧くはずです
もし受け入れられなかったとしても
今後もその都度自分を観察し
「無理しているかしていないか」
これを基準にして
自分の言動を選んでいきます
それだけで良いのです
3,必要以上に罪悪感を持たなくて良い
今までいい人を目指してきたのに
無理していたなと気づいて
それをやめようとする時
周りに申し訳ない気持ちになったり
何か悪いことでもしているような
そんな気持ちになったりします
ですが気づいてもらいたいのは
常にその生き方をしている人がいる
つまり
いい人でいようという概念がなく
自分に正直に生きている人
というのは一定数いて
そういう人を観察していると
自分を正直に表現することに
罪悪感を持っていません
必要以上に罪悪感を持つことなく
自分の意向を受け入れてくれた
周りへの感謝はしっかり伝える
ごめんね、ありがとうを
程良く、でもしっかり言える
そのバランスが取れていると感じます
・
==【今回のまとめ】==
いい子・いい人を過度に目指すと
自分のダメだと思うところだけでなく
自分の良いところも認められなくなる
これは人生の豊かさに関わる
非常に大事なところで
自己肯定感の低さに繋がる
《 対 策 》
1,良いところはしっかり認める
大きな結果を出したから認める
ではなく
経過と小さな結果こそ
自分で認めて評価する
(これ重要!)
2,いい人をやめる
自分の「いい人像」は何か
無理してそこに行こうとしていないか
無理していると気づいたらやめる
やめるとなると言動が変わる
それを受け入れてくれた
周りへの感謝を忘れない
3,必要以上に罪悪感を持たなくて良い
ごめんね、ありがとうを
程良くしっかり伝えるバランス
必要以上の罪悪感はいらない
今回書いたことはすべて
私が経験してきたことです
いい人をやめても案外大丈夫です
というか、全然大丈夫です
朋子
【自己肯定感が低い方へ】推しを見るように自分を見る
「自己肯定感」
という言葉があります
高いとか低いとか言いますよね
不自然に高過ぎるのも
不自然に低過ぎるのも
自分はもちろん周りも疲れます
普通に、ナチュラルに中立に
自分を見る
それだけで良いと思うのです
良いところは良いと認め
ここはもう少し試行錯誤できそうかな
と思うところは
自分なりにやってみる
それだけで良いし
シンプルに考えて良いと思うのです
ですが、それがなかなか難しく
自分に厳しい人は多いと思います
(私もそうでした)
今回はその要因と対策を
書いてみたいと思います

【1,自己肯定感が低い要因】
私が思うに、いわゆる
「自己肯定感が低い」人というのは
小さい頃からいい子・いい人であることに
かなりの重きを置いてきた人で
・正しいか間違いか
・良いか悪いか
・出来るか出来ないか
という物差しで
常に自分の言動を審判し続けてきた
そんな傾向があると思っています
長年それをやっていると
出来て当たり前
正しいのが当たり前になり
その基準に満たない時には
自分を否定してしまいます
もちろん
誰もがこれを経験しています
自分にダメ出ししたことがない人は
恐らくいないでしょう
ですが
ここで大事なポイントは
「いい子いい人でいなければ」
この思いが強すぎると
「出来て当たり前」なので
出来て嬉しいと喜んだり
お礼を言われて嬉しいと感じたり
人の役に立てたと満足したり
褒められて嬉しいと感じたり
そういう
喜び・嬉しさ・満足・ほっこり
こういう感情を自分で味わう時間
要は「自己肯定タイム」
この最も大事なところを
すっ飛ばしているのです
実際に出来ていることはたくさんあるのに
それを褒めたり満足したりはしない
でもダメ出しはしっかりする
すると自己肯定感が低くなる
私はそう捉えています
じゃあ、どうしたら良いか?
【2,自己肯定感を上げるには?】
自分の良いところを書き出して
褒めまくるというやり方もありますが
今日は別の視点をお伝えしたいと思います
自分の良いところではなく
自分の「ダメなところ」を書き出します
性格や考え方のクセや
やめられないことなど
色々あると思います
遠慮なく容赦なく書き出していきます
次に
あなたの推しや好きな人
好きなキャラクター
可愛いわが子
とにかく「大好きな人」を想像します
そして先程書いた
「自分のダメなところ」を
あなたの大好きな人がそれをやっていて
あなたの大好きな人がそういう人だと
想像します
…どう感じますか?
自分がどう感じるか
注意深く見て欲しいのです
嫌いになりましたか?
いやむしろ何なら
「可愛い」と思いませんか?
なぜ推しなら良くて
あなたならダメなのですか?
ここで知っていただきたいことは
◎自分で思っている
「自分のダメなところ」なんて
案外大したことではない
◎大好きな人なら許せるし可愛い
その気持ちを自分にも向けて欲しい
こういうことなんです!
==【今日のまとめ】==
1,自己肯定感が低くなる要因
小さい頃から
いい子・いい人でいることを頑張り過ぎて
それが当たり前の基準になると
基準に達しなかった自分を責めるようになる
さらに
喜び・嬉しさ・満足・ほっこり
こういう感情を自分で味わう時間を
すっ飛ばすと
自分を肯定しなくなってしまう
2,自己肯定感を上げるには?
自分でダメと思っているところを書き出す
→ 自分の大好きな人を想像
→ 書き出した「自分のダメなところ」を
大好きな人がやっている
大好きな人がそういう人だと想像する
→ その優しい受け入れる気持ちを
自分にも向ける
推しが何をやらかそうと
ただ可愛いだけで許せるはず
その優しい視点を自分にも向けよ!
tomoko
「好きなことがない」と思う時気づいて欲しいこと3つ
私は電車とバスに「乗ること」が好きです
電車の種類などは全く知らないし
〇〇系とか全くわかりません
撮り鉄でもありません
ただ「乗ること」が好きなのです
空いていてゆったり座れる電車やバスに
外の景色を見ながら
ボーッと座っているだけで
目的地まで運んでもらえる
それが楽しいのです

私はその昔
自分がわからない
何が好きかわからない
と悩んだりしていましたので
今回は
「好きなことがない」と思う方に向けて
私が思うことを書いてみたいと思います
1,些細な「好き」こそ本質
「好きなこと」というと
自己紹介で「私の趣味は〇〇です」
と言う時のように
人に堂々と言えるような
ちょっと素敵なこと
というのを考えますよね
ですが、例えばあなたは
蛍光ペンや色鉛筆を
赤、オレンジ、黄色…というように
色のグラデーション順に綺麗に並べて
それを眺めるのが好きだとします
(私は結構好き)
これも立派な「好き」です
この例の場合
・色彩のグラデーションが好きなのか
・綺麗に並んでいるのを
ボーっと眺めるのが好きなのか
・「並べる」行為自体が好きなのか
そこを探ってみると
他の些細な「好きなこと」との
共通点が見つかったりして
結構面白いのです
「好きなこと」って
大仰なものではないのです
人に説明しづらい些細な好き
それは日常に溢れています
むしろ些細な「好き」にこそ
その人の本質が詰まっていると
私は思うのです
2,何かを「やる」こととは限らない
〇〇するのが好きです
というように
好き=行動とイメージしがちですが
例えば
何もしないのが好き
ただボーっとしているのが好き
これも立派な「好き」ですよね
そう捉えてみると「好き」は
「すること」とは限らない
しないことかもしれないのです
服にこだわりがない
どうでもいいというのも
こだわらないのが好みなのです
いや、好みというか
本当にどうでもいいんだよね
というのも
着るものを選ぶことに
時間とお金をかけたくないという
意図と選択があり
それもある意味「好み」なのです
そう捉えていくと
好みがないようで
日々多くのことを好みで選択しています
こだわりがないというのは
実は生きやすいとも言えます
絶対こうじゃなきゃダメ!
というのがないぶん
柔軟性があるからです
3,情熱がなくてもよい
「好きなこと」と聞くと
大きな熱量を持ってやっていることや
大好きで仕方ないこと
夢中になってしまうこと
時間とお金をかけていること
何となくそういうフィルターがありますよね
このフィルターがあったからこそ
「自分にはそういうのはない」
と思ったのではないでしょうか
このフィルターは
現代独特のものなのではないかと
思っています
モノもお金もなかった昔の時代の人は
日常の中の些細な「好き」を見つけて
それを育てるのが上手だったような気がします
逆に現代社会はモノも選択肢が多過ぎて
だからこそ
何かを「選ばなければならない」
頑張って決める感じがありますよね
敢えて文字にして書いてみます
好きなことというのは
・情熱が無くても良い
・大好きという程でなくても良い
・夢中という程でなくても良い
・時間とお金をかけるようなことでなくて良い
・何かを「しないこと」でも良い
・こだわりが無くても良い
どうでしょう?
何かホッとしませんか?
本来「好き」というのはこれで良いのです
そしてこの視点で日常を見ると
あなたは日々
自分の好きに生きていることに
気づくと思います
もう「好きなことがない」とは
言わせない。笑
==【今日のまとめ】==
「好きなことがない」と思う時
気づいて欲しいこと3つ
1,些細な「好き」こそ本質
人に説明しづらいような
些細な「好き」にこそ
その人の本質が詰まっている
2,何かを「やること」とは限らない
何もしたくない、というのも
立派な「好き」
日々のあらゆる選択に
自分の「好き」が反映している
「どうでもいい」は実は生きやすい
3,情熱が無くても良い
好きなことと聞くと
すごい熱量を持ってやること
というフィルターが挟まるが
些細な「好き」に大きな情熱は無くて良い
・
自分のやっていることを
意識的に見てみると
日々様々なことを
「好みで選択している」ことに気づきます
あなたは日々「選択」しています
それは「好み」による選択なのです
常に自分の好みがそこに反映していると
気づかなかっただけです
あなたは日々しっかりと
「好き」を選び
好きに生きています
朋子
【押し込めた本音を成仏させる】これが大事な理由3つ
子供の頃から
言いたいことを言えずにいた人
本音を胸の奥に封印するということを
たくさんしてきた人ほど
まずはその押し込めた気持ちを
「出して成仏させる」ということを
最初にやることをお勧めしています
あの時押し込めたあの本音を
いまノートに書いて感じて
「わかるよ」「そうだよね」と受け止めて
成仏させる
まずこれをやることがとても大事だと
私は思っています
今日は
なぜこれをやることがそれほど大事なのか?
その理由を書いてみます

1,まずは胸に空間と余裕をつくる
言いたいことを我慢すると
「胸がモヤモヤする」体感はありませんか?
押し込めた感情や気持ち、本音などは
胸に溜まります
クッションに綿をパンパンに詰め込んで
はち切れんばかりに膨らんでいる
そんな状態です
なのでまずは
胸に溜まり続けたものを紙に書き出して
可視化・物質化させて外に出して成仏させ
「すっきりした」「軽くなった」
という体感を得てもらいたいのです
書いたものを破って捨てるのも良いです
カフェで紙ナプキンやレシートの裏に
びっしり書いて
破って捨てて帰ってくるのもお勧めです
まずは胸の重さを外すことです
胸が重たくモヤモヤしている状態では
幸せ・ほっこり・嬉しいという感覚を
体感しにくいと思うのです
私は昔、カフェでコーヒーを飲みながら
ノートに書き続けるということを
1年くらいやりました
私の場合は
押し込めてきたものが多過ぎて
出しきるのに時間がかかりましたが
ある日、手がピタッと止まりまして
「あ、出し切ったんだな」と思いました…笑
2,胸に空間ができると「いま」の感覚に気づける
これまでは
過去に封印してきた本音が胸に溜まって
いっぱいになっていたから
今現在の自分の感覚、本音、気持ち、感情に
気づきにくくなっていましたが
それを出して
胸に空間ができたことで
「今現在の感覚」に気づきやすくなります
いま自分がどう感じているか
何を考えていてどう思っているか
自分でわかるようになります
そうなったことが自分でも嬉しくて
これからは
良い悪いとジャッジ(審判)することなく
自分をそのまま受け止めてあげたい
そう思うようになります
そしてこれが
これからも自分と生きていくうえでの
「基盤」になるのです
3,自分の考え方の癖に気づける
上記2で
自分の本音、気持ち、感情、思考を
良い悪いの審判なしに
ただ見てあげるのが大事だと書きましたが
これは重要ポイントで
私たちは学校でも社会でも
「正しいか間違いか」
「良いか悪いか」
という基準で物事を判断してきたので
それが癖になっています
ですから
「審判せずにただ見る」というのは
意外と難しいのです
過去に封印してきた本音を
ノートに書いていくと
どういう時にどんな気持ちを封印してきたか
なぜ言わないことを選択したのか
言うとどうなると思ったから言わなかったのか
そういうことが見えてきます
そこから
自分の考え方のクセがわかります
「正しくありたい」
「間違えたくない」
という気持ちが強い傾向があるとか
「自分の意見が通るわけがない」
「自分はいつも間違える」
という否定的な見方を持っているとか
「言わないほうが丸く収まる」
と思っていたとか
色々あると思います
それは今の自分にも繋がっていて
恐らく今も持っています
「持っていた癖に気づく」
この「気づく」ということが
本当に本当に大きなことなのです
気づくだけで良いのです
気づいてしまえば
そういう自分を変えようと頑張ったり
言動を変えようとしなくても
自然の成り行きで変わっていくものです
「気づき」とは
そういうパワーを持っています
自然に自分に戻っていきます
「気づく」ためには
頭の中であれこれ考えるよりも
書いて文字にして視覚化したほうが
断然自分で気づきやすいです
だからこそ「書く」ことをお勧めしています
==【今日のまとめ】==
子供の頃から本音を言わずに
胸に溜めてきた人は
まず最初に「書いて成仏させる」
これがおススメ
《その理由》
1,まずは胸に空間と余裕をつくる
溜め込んできたものを
書き出して視覚化・物質化することで
成仏させる
→胸がすっきりする、軽くなる
胸にスペースができる
2,胸に空間ができると「いま」の感覚に気づける
胸がすっきり軽くなると
幸せ・ほっこり・喜びなどの気持ちを
体感しやすくなるし
今現在の感覚を捉えやすくなる
3,自分の考え方の癖に気づける
書き出したものを眺めてみると
なぜ自分が本音を言わない選択を
してきたのかが見えてくる
それって本当?と疑ってみる
→自然に手放れていく
・
本音を封印してきた理由は
人それぞれあると思いますが
どういう状況であれ
言わないことを選択したのは自分
言わないほうがラクだった
言わないほうが丸く収まると思った
言っても無駄だと思った
色々あったはず
それに「気づく」ということ自体が
大きいことだと思っています
気づいたら
特に頑張ったり変えようとしなくても
自然の流れと選択で変わっていきます
頑張って自分を変えようとしなくても
大丈夫なのです
朋子
【最初にやること】気持ち押し込めタイプの方へ

自分の本音、気持ち、感情を
封印することが多かった人は
「自分がわからない」
というふうになりがちで
(過去の私です)
こういうタイプの方が
「もっと自分の感覚を大事にしていきたい」
と思った時に
最初にやると良いと思うことがあって
それは
心の奥底に溜まっている
今まで封印してきたものを
身体の外に出して成仏させる
ということです
つまりは
文字として書き出して
視覚化・物質化させることで体外に出す
これを「成仏させる」と私は表現しています
私が
「自分がわからない」ということで
悩んでいた昔
まず内側に意識を向けて
自分の気持ち、本音、感情を
しっかり見ていく
ということをやりました
今の気持ち、例えば
今楽しい、今嬉しい
今悲しい、今イライラしてる
これはもちろんわかるのですが
何か表面的なものしか感じ取れていない
そんな「物足りなさ」を感じました
なぜでしょうか?
今まで封印し続けてきたものが
心の奥底にいっぱい溜まった状態だと
今の感覚を存分に感じる邪魔になり
今感じたい素直でまっすぐな感覚を
キャッチしづらくなっている
そう感じるのです
いくら自分の感覚を
キャッチしたいと思っても
溜まっているものが邪魔をして
自分からの真っ直ぐな感覚を
感じにくくしているのです
だからまずは
過去に心に押し込めてきた
感情や気持ちや本音を拾い上げて
いま受け止めて
いま感じることで
身体の外に出して成仏させる
これが大事だと思うのです
溜め込んできたものが多い人ほど
この段階は大事だと思っていて
これからの人生において
自分をフラットに見ていくための
土台づくりになると思っています
朋子
↓ 以下の2記事に
もう少し詳しく書いています
そもそも、自信とは何か?
こんにちは、朋子です。

長年、自分に自信がなくて
自己肯定感も低かった私ですが、
2017年あたりから
「自信の無さ」にメスを入れ始めて
色々なことに
取り組んでみたんです。
いつも書いている
自分ノートを眺めていたら
気づいたことがあるんですが、
自信には
大きく分けて
2つあって、
ひとつめは
何かを成し遂げた
ことによる自信
例えば、
部活や勉強で
成績をおさめたことで
自信がつくとか
仕事で成果を上げて
自信がつくとか
趣味でも子育てでも
何かを頑張ったり
成果を上げることで
自信がついていく
という類の自信ですね。
もうひとつは、
何かを達成するしないに
関係ない、
自分の存在
そのものへの自信
生命への自信
とでも言いましょうか、
自分がこの世に存在していること
そのものへの自信です。
何かを達成したから素晴らしい自分
という捉え方ではなくて、
自分の存在そのものが
すでに素晴らしい。
世界にたった一人の
自分の価値を
認めていて信じている。
だから自分の
感じ方が超大事で、
いつも自分の感じ方に
焦点を当てている。
…大きく分けて
この2種類の自信があると
思ってるんです。
・
それで、
ここからが超大事なんだけど、
自分の存在そのものへの自信
生命への自信
ここが満たされていないと、
何かを
成し遂げたことによる自信を
実感しにくい
…ってことなんですよ!
私もそうでしたが、
たいていは
自信をつけたいと思ったら、
何かを頑張って
成績・成果を出すことで
自信に繋げようとしますよね。
だけど
自分の存在そのものへの自信
生命への自信
ここが満たされないままに
何かを頑張ることで
自信をつけようとすると、
逆説的だけど
何かで成果を出さないと
自信が持てない自分
ありのままの自分だと
自信が持てない自分
という意識を
強化してしまう
ように思うんです。
しかも!
ちゃんと成果を出してるのに、
ちょっとやそっとの成果では
自分で認めないから、
延々と突っ走り続け
永遠に自信がつかない
これを繰り返すと、
日々の日常生活に
疲れしかなくなる
↑これを私はずっとやってきたw
だからまずは、
ありのままの自分を認める
自分の存在価値を認める
こっちが大事だと思うんです。
それはどうやって?
というのは
何度か過去記事でも
書いてきましたが、
「自分を満たす」
「自分を許す」
コレだと思います。
頑張ることや
我慢することをやめて
好きなことをする
好きなものを食べる
あったかいお風呂に入る
衣食住の基本から自分を満たす
とにかく
心身ともにリラックスさせて
頭もリラックスさせる。
自分を否定する思考や思い込み
エゴキンマンは無視。
そういう中で
あれやってみようかな
これやってみようかな
と思いついたことを
やっていきます。
自分のわがままを
聞いてあげます。
行きたいところに
連れて行ってあげます。
会いたい人に会います。
そういうことを日々
地道にやっていくと
自分の心身が満たされてきて、
自分の存在そのものへの自信
生命への自信
が少しずつ自然についてきます。
これが基盤にあると、
ずっとやりたかったことをやりたい
自分が楽しいと思うことをしたい
という希望が出てきて、
それをやっているうちに
「成績・成果」が
おまけのように
後からついてくる
という感じになります。
もうそこまでいくと
自分への基本的信頼感が
あるので、
何をやっても楽しい
という境地になるはずw
私はいつでも
そこを目指してるwww
朋子
我慢することを、やめる。
こんにちは、朋子です。

昨日の「頑張らない」に
引き続き、
今日は「我慢しない」。
我慢って
無意識にやっちゃうほど
身体に沁みついていたりする。
我慢をやめていくってことに関しては、
私も
まだまだ伸びしろがあるなって
自分で思ってます ↓
頑張らない、無理しない、は自信に繋がる
人と話す時、もっと自分を出しても大丈夫。
こんにちは、朋子です。

自分に意識を向けて
自分の感情をキャッチして
それを表現できるようになってきたら
人との会話って
やっぱりいい練習の場なんですよね。
自分の気持ちを言えなかった人も
言ってみたら
意外と大丈夫なんです。
そんなお話です。↓
自分への放置プレイを、やめる。
こんにちは、朋子です。

自分と向き合う入り口が
「自分がわからない」だったので、
最初は自分の
「感情」「気持ち」「思考」
そこへのアプローチでしたが、
途中で、
自分のカラダ、体調にも
同じように無頓着だった
ということに気づいて、
身体こそ資本なんだから
大事にしていこうと思いました。
自分への「放置プレイ」を
やめていこー!!
