ひたすら自分と向き合う

いい子・いい人の基準って?

こんにちは、朋子です。

 

いい子・いい人でいないと愛されない。

ずっとそんなふうに考えて、

ずっと「いい子」「いい人」でいることを

最優先にしていたんです。

 

だけど考えてみたら、

いい子・いい人って、

そもそもなんだろう?

 

だれ基準・なに基準での

「いい」なんでしょうか??

 

大人が子供に

「いい子だね~」という時は

大人目線からの「いい子」ですよね。

 

例えば言うことを聞くとか

言わなくても身支度をきちんとやるとか

勉強をきちんとやるとか

運動ができるとか、素直だとか…。

 

大人の言うことを聞く子が

「いい子」と言われますよね。

 

あとは社会の一般常識を守れること、

例えば挨拶ができるとか

約束を守れるとか

お友達と仲良くできるとか。

 

親が子供に対して

「いい子でいてくれるから嬉しい」

と言うのはいいけど、

 

「いい子であろうとなかろうと、

どんなあなたも大好きだよ」

ということを

普段から伝えないと、

 

「いい子にしてるから愛される」

というメッセージだけを受け取って、

 

いい子でいることに

全力投球するようになります。

 

そうなると、

自分のしたいことや言いたいことを

封印するようになります。

 

そして親が思う

「いい子」になれなかった時、

自分をものすごく責めてしまうのです。

 

 

じゃあ、大人になってからの

「いい人」って、何だろう?

 

Aさんが

「Bさんて、いい人だよね」って言った場合、

 

Bさんの「いい人基準」に

Aさんがフィットした

ということですよね。

 

だけど、誰かが

「え?Aさん?私はいい人だと思わないな」

と言った場合、

 

その人とっての「いい人基準」に

Aさんはフィットしない

ということになります。

 

そうなるとAさんは、

 

ある人にとっては「いい人」だし

別のある人にとっては「いい人ではない」

ということになります。

 

…ということは、

「いい人」だと思う基準は

人によって違うということです。

(当たり前だけど)

 

私たちは、

特に自分の好きな人や大事な人には

好かれたいから、

 

その人が思う「いい人基準」に

フィットしようとして

自分を変えたり無理をしたり

頑張ったりしてしまう。

 

だけど、

「いい人」の基準って、

時間とともに

変わっていくんですよね、

価値観が変わっていくように。

 

例えば、

ある人がAさんのことが好きで、

 

Aさんに好かれたいがために

Aさんの思う「いい人」の基準に

自分を寄せていったとします。

 

その結果、

Aさんから「あなたっていい人だね」

と好かれることに成功したとします。

 

でもAさんの思う「いい人」の基準は

時間とともに変化していくので、

 

Aさんを好きなその人は、

その都度、

Aさんの思う「いい人」の基準に合わせて

自分を変えていかなければなりません。

 

…そう考えると、

ものすごーく、ばかばかしい

と思いませんか!?

 

こうやって、

 

好きな人や友達に好かれたいがために

その人が思う「いい人」の基準に

自分を寄せていく

ということをやり続けていると、

 

本当に自分がわからなくなります。

これ私、何度もやってるから

わかるんです。

 

だから

「いい人でいる」ことを

思い切ってやめちゃう。

 

だれ基準のいい人?

それで自分がなくなっていたら

何にもならない!

 

自分基準の「いい人」

ってのも、なんか違う。

 

もう「いい人」に

こだわる必要はない!

 

こう感じるのはいい自分

こう思うのは悪い自分

そういう基準をやめる。

 

全部、ぜーんぶ、

どんなことを感じる自分にも

「いいよ」って言おう。

いいも悪いも関係なく、

 

何を感じても、

何を思っても、全部OK。

 

誰かに認められなくても

自分さえ認めてあげれば

それで充分。

 

それが自分を大事にする、

自分を受け入れる、

自分をまるごと愛する、

 

ということに繋がるんじゃないかな?

って思ってます♡

 

朋子