ひたすら自分と向き合う

何となく良さそうに見えるという幻想

こんにちは、朋子です。

f:id:yuuhotoissho:20211029222657p:plain

昔からよく思ってることなんですが、

 

「何となくこっちのほうが

良さそうに見えること」

って世の中多くて、

 

そっちになろうとして

頑張っちゃったりするけど、

 

それって

やらなくていいことだったな、

って思うことってありますよね。

 

例えば、

 

人前ではきはきと自分の意見を

言える人とか

 

リーダーシップがとれる人とか

いつも明るくて笑顔の人とか

 

人当たりがいい人とか

色々気がついて気を遣える人とか

 

やっぱり素敵に見えるし

憧れるじゃないですか?

 

学校でも社会でも

何となくそういうことを求められるから、

 

そういう人物像が

人として在るべき姿なのかぁ?

 

とか思ってしまって

そういう人になろうとしちゃう。

 

娘の学校でも、

こういう人を目指そう!

みたいな人物像って

そんな感じなんですよね。

 

もちろんそういう人は素敵だけど、

自分がそういう気質じゃないのなら

真似しようとすると疲れるし

ストレス溜まるし、

 

何より自分の中での違和感が

半端ないはずなんですよね。

 

「料理できるのがいい奥さん(彼女)」

とかもそうですよね。

 

とにかくそういう、

「何となく良さそうに見える」

だけど自分の気質ではないから

それを目指すとストレスになること

 

それを少しずつやめていこう。

 

自分の気質を

もっと大事にしていい!

 

朋子

自分をまるごと愛するということ。

こんにちは、朋子です。

f:id:yuuhotoissho:20211024201632p:plain

 

私が

自分がわからなかった頃は、

自分のいいところも

だめなところも

どっちも受け入れられませんでした。

 

基本的に、

いい子・いい人・常識人

であることがすべて

だと思って生きていたので、

 

それ以外の目立つこと

その枠から外れること

人とは違う私だけの感覚

私の個性

 

そういうのを

徹底的に無視してきました。

 

だから自分がわからなくなったし

自分「らしさ」なんて

もっとわからない。

 

いいところもダメなところも

どっちも

自分で受け入れてないというのは、

 

ありのままの自分を

全否定しているようなものです。

 

じゃあ、そもそも、

ありのままの自分って、何なんだろう?

 

いいところもダメなところも

ひっくるめての

ありのままの自分です。

 

こういう時も私は

ノートに書きながら深堀りしてきました。

 

まずは自分のいいところから。

 

よく褒められるところ

言われて嬉しかったこと

自分で好きと思えるところ

そういう自分のいいところを

たくさん書き出して、

自分でも褒めてあげます。

 

「自分を褒める」

ということはあなどれなくて、

 

「そういうことができる私ってすごい!」

「今日すごく頑張ったよね」

と書きながら褒めるだけで

少しずつ自信がついてきます。

 

自分の良さを書いて眺めて

フムフム私も悪くないな

と認めてあげます。

 

次に自分のダメなところ。

(自分でダメだと思っているだけで

 実際はだめじゃないんだけど)

 

こんな自分を出したら

嫌われるだろうな

引かれるだろうな

こんな自分は

絶対に人には見せられないな

こんな自分は

変態だと思われるだろうな

 

というような、

ダメダメなところや情けないところ

書くことすらためらうようなところ

 

そういうところを

片っ端から自分ノートに書いていきます。

 

こうして

書き出して眺めていると、

気が付くはずなんです。

 

ダメダメなところたくさん出たけど

 

 

意外と、

大したことない。

ってことに。

 

 

自分がダメだと思ってるところ。

それをあなたの好きな人が

あなたにさらけ出したところを

想像してみて下さい。

 

どう感じますか?

うわー大嫌い!ってなりますか?

 

むしろ、

なんか可愛い💛

なんか愛おしい、なんか嬉しい!

って感じませんか?

 

そういうもんなんですよね。

 

ダメなところにこそ

その人の

愛すべきチャーミングな個性が

隠れているんですよね。

 

これが

「欠点こそ愛される」

の正体ですw

 

だからまずは、

自分のいいところも

ダメなところも

全部まるごとの自分を

まずは

「知って」

「把握して」

「受け入れる」

という作業が必要です。

 

私はこの作業を通して、

いかに自分をないがしろにしてきたか

ということを

心底実感して愕然としました。

 

全部かわいい自分で、

そういう全部をひっくるめての

自分を好きになりたいし、

個性的で素敵だと思いたい。

 

まずはそれを望んで

そこに近づいていく。

 

それが

「ありのままの自分をまるごと愛する」

っていうことなのかな、

って思ってます♡

 

朋子

美容への諦めを見つけた話。

こんにちは、朋子です。

 

12月にランウェイモデルを

やらせてもらうことになっていて、

 

せっかくの機会なので、

身体づくりや美容にも

取り組んでみようと思い、

 

食べ物を考えたり

ヨガやストレッチで筋肉をほぐしたり

脚マッサージをしたり

 

そういった

ボディケアやスキンケアに

取り組んでいます。

 

それで

ヨガは普段から行っているので

ストレッチや筋トレは

継続してゆるくやってるけど、

 

ボディやフェイスのお肌のケアは

面倒くさくて

あまりしてこなかったので、

 

今、いい機会だと思って

脚のオイルマッサージや

顔の保湿や美白など

色々とやってみています。

 

やっぱり、

「面倒」という気持ちが

多少はあるものの、w

 

やるとお肌が綺麗になるし

気持ちいいじゃないですか?

 

で、思ったんです。

 

あー、もしかして

このスキンケアを丁寧にやるっていうのは

 

「自分を丁寧に扱ってあげている」

という意識になれる

すごくいい時間なんだ。

 

…ということに今更気づいた。w

 

お肌は綺麗になるし

自分も嬉しくて気分が良くなるし、

 

もしかして

いいことづくめなのでは?と。w

 

美容分野は

時間もお金もかけたくないし

そもそもあまり興味ない分野って

ずっと思ってきたけど、

 

ただの「諦め」だったな。

って思ったんです。w

 

美容って

自分を大事に扱う

有意義な時間なんだな。

 

…と、今更ながら気づいたw

 

ヨガやストレッチや軽い筋トレで

身体のメンテナンスをするのは

すごく好きでやってきたのに、

 

お肌のお手入れとか

美容分野は手つかずだったのは、

 

若い頃から「諦め」があった。

 

子供の頃からそばかすがあって

これはもうどうしようもない

ってずっと思ってて、

 

「どうしようもないから何もしない」

みたいな意識が多少あったな、と。

 

どうにもならない

しょうがない

みたいな「諦め」が根っこにあったなと。

 

f:id:yuuhotoissho:20211019234805p:plain

だけどこれだって

「綺麗なお肌になりたい」って

軽く望めばいいんだし、

 

はぁー、どんどん綺麗になっていく♡

ちょっと楽しいかも♡

という意識で

スキンケアやボディケアをしたら

綺麗にならない訳がないな、と。

 

なので、

12月にランウェイモデルをやるまで

あと少しだけど、

 

面倒くさがりな私でも

楽しくできるような

ボディやフェイスのケアを

していこうと思っています♡

 

美容を避けてきた私の意識が

どう変化していくのかも

自分で見守りたいです。

 

朋子

望みが出なくても、今は大丈夫。

こんにちは、朋子です。

 

皆さんは

「こうなったら嬉しいな~」

「こういう未来だったらいいな~」

「こういう自分になりたいな~」

「あれやりたいな~」

 

みたいな「望み」って、

今ありますか?

 

 

自分がわからなくて悩んでる時って、

そもそも「望み」が出ないんです。

私はそうでした。

 

だから、もし今そういう状態で、

自分がしたいこと、

なりたいもの、

やりたいことなんて全然出てこない

 

という方がいたら、

全然大丈夫です

ってことを言いたいです。

 

f:id:yuuhotoissho:20211015173350p:plain

 

私は

「宇宙の法則」

引き寄せの法則」の本が好きで

色々と読んできたけど、

 

特にエイブラハムの本は、

どの本もひたすら、

「望みがどうしたら叶うか」

って話なんですよ。

 

ひたすら、

「望みを叶えるには、

自分の意識と思考をどうするか」

っていう内容。

 

つまり「望みありき」なんですよね。

 

いや、当たり前なんですよ、

だって「引き寄せの法則」の本だから。

望みがあること前提だから。

望みがないと始まらないんです。

 

…だけど、私としては、

 

そもそも望みがないから

困ってんのに!

 

…って感じだったw

望みがない

ということに悩んでいたんです。

 

エイブラハムの「感情の22段階」↓

 
1.喜び、大いなる気づき、自信、自由、愛、感謝
2.情熱
3、熱意、やる気、幸せ
4.ポジティブな期待、信頼
5.楽観
6.希望
7.満足
8.退屈
9.悲観
10.ストレス、いらだち、短気
11.戸惑い
12.失望
13.疑い
14.心配
15.非難
16.落胆
17.怒り
18.復讐
19.敵意、激怒
20.嫉妬
21.自信喪失、罪悪感、自己卑下
22・恐れ、苦悩、憂鬱、絶望、無気力

 

当時は21番、22番の

特に無気力、自信喪失、自己卑下

などの気分でいる時間が多かったので、

 

そこにいるとやっぱり

自己肯定感が低いので

 

望みがせっかく出たとしても

瞬殺でなかったことにしてしまう。

 

ふわっと、

わあ、こうだったらいいな~

と思ったとしても、

 

「どうせ無理」

という一言で潰されるw

 

あと、

「望み」というものを

素敵な望み

ちゃんとした望み

みたいに捉えていると、

 

例えば

1日中寝ていたい

というようなことを

望みと捉えられない。

 

望みって本当は、

「今どうしたいか」

っていうシンプルなもので、

 

今それが

できるかどうかは

関係なく

今本当は

どうだったら嬉しいか?

というのを自分で拾ってあげる。

 

それだけでいいんですよね。

いま、現実的にそうするのは難しくても

本当はどうだったらいいと

思ってるか?(本音)

 

私はこの練習から始めていきました。

これ、結構奥が深いですよw

 

今までの人生で培われた

遠慮や常識の概念があるので、

 

本当の本当はどうがいいか?

という本音が

なかなか出てこないのですw

 

…こういう感じで、

 

自己否定がある時というのは

望みが出ない、というか

出ても無意識に瞬殺してるので、

 

望みがないことで

自分を責めなくて良くて、

 

今は望みなんて持てなくても仕方ない。

今は望みどうこうより

自己否定を減らす時期。

って思えばいいと思います。

 

好きなことしたり

のんびりリラックスして

心身ともに緩めていけば

 

自己否定が減ってきて

望みを瞬殺しなくなってきます。

 

 

…だけど実際は私達は日々、

自分の望みを叶えてあげてるんですよね。

 

例えば、

コンビニでお昼ご飯を買うとします。

 

あんなにたくさんの食べ物がある中から、

自分の食べたいものや

飲みたいものを選んで買ってる訳ですよね。

 

自分の好みのものを選んで、

自分に買ってあげてる。

 

これだって

「自分の望みを叶えてる」

っていうことなんですよね。

 

だから、本当は日々出来ている。

これをもっと意識して、

 

今自分は何を食べたいかな?

っていうことの

精度を上げればいい、

って思うんです。

 

ごはんよりスイーツが食べたい

と思ったらそうすればいいし、

 

おにぎりもパンもスイーツも

全部食べたい

と思ったらそうすればいいし、

 

スイーツと焼き鳥が食べたい

と思ったら、

組み合わせがおかしいと思っても

そうしてあげるw

 

「買い物」って

すごくいい練習の場なんですよ!

 

ただ、これをやり始めると

買い物に時間がかかって

なかなかレジにたどり着かないw

 

でも買い物で練習するの、

私はおすすめです♡

 

朋子

自分の感覚に気づけることの歓び。

こんにちは、朋子です。

f:id:yuuhotoissho:20211014123131p:plain

 

(↓2018年7月5日の記事)

 

以前の私は、

自分の感情だけじゃなくて、

自分の体調にも

ホント無頓着で、

 

体調が悪くても

それに気づかないか、

気づいても

「まだ大丈夫」って

無駄に我慢してたので、

 

「ちょっとやばいかも」

って思った時には

すでに結構具合悪くて、

 

「具合悪い」って口に出した時は

もう相当ヤバくなってる時。

みたいな。w

 

だけど、

意識を内側に向ける

練習をしていたら、

体調の小さな変化に気づけるようになった。

 

例えば、

 

いつもはカフェで

大好きなコーヒーを飲んだら

「はぁ~美味しい~幸せ~」

ってなるのに、

 

今日は

「美味しい~」を感じる前に

「体が重い~」

と感じた。

 

この気づき!

しかも

超初期の段階で

気づいたし!

 

いやーこれだけでも私、

かなりの進歩!

意識を自分に向けていれば

ちゃんと気づけるんだ。

 

↑…あの、

いつも言ってるとおり、

 

普通にできる人にとっては

何に感動してるのか

よくわからないでしょうがw

 

外側意識が強かった人が

自分に意識を戻し始めてからの

自分への「気づき」ってのは

こういうところからで、

 

こういう小さなことでも、

「気づけた!」

という嬉しさを

体感として味わっておく

ってのが凄く大事です。

 

「体感として」ってのは、

 

自分の何かに気づけたときの喜び

これこれ!っていう感覚

じわっと感じる感動

自分への湧き上がる感謝

ホッとする安堵感のような感覚

 

↑こういうやつです。

これを体感として味わっておいて、

 

今日も自分のこんなところに気づけて

嬉しかった

という小さな体感を

自分の中で

どんどん積み重ねていくことで

自分への信頼が

出来てくるんです。

 

なのでこういう時は

大袈裟に喜んで、

気づけたという経験を

身体に染み込ませておきます。

 

 

そして

身体が重いと気づけたら

その次ですよね。

 

自分との会話タイム。

どうしたいか

自分と相談する。

 

今日はベースレッスン行くのやめて、

このままカフェでまったりする?

 

あ、それもいいね。

ベースのレッスンは

また予約し直せばいいし。

 

でもさ、

いつもベースのレッスンに行くと、

楽しかったーーってなって

ルンルンで帰ってくるよね。

そういう気分にもなりたいよね。

 

今の体調と気分で考えて、

どっちがラクでホッとする?

どっちがワクワクする?

そうやって自分と相談するんです。

 

結果、

カフェで少しのんびりしたら

元気になったので

「やっぱりベースレッスン行こう」

と決めて、行きました。

 

そしてレッスンの帰りには

さっき思ったとおり、

「楽しかったーー」となり、

ルンルンで帰ってきました。

 

こうやって、常に

「今、私はどうしたいのか?」

「どういう気分になるために、

どれを選択するか?」

っていうことを、

いつも自分の心と

相談して決める。

 

その自分の選択のおかげで

私は今日も

いい気分でいられる♡

 

朋子

 

言っても言わなくても、どっちもOK。

こんにちは、朋子です。

 

子供の頃は

担任の先生から

「いるかいないかわからない」

と言われるくらい大人しかったし、

 

転校する度に

黙って周りに合わせる

ということをずっとやってきたので、

 

とっても大人しい子供時代でした。

 

私は元々

喋るタイプではないんだけど、

 

昔と今では

大人しくしてる時の

私の内側の意識が

だいぶ違う

って思うんです。

 

前の私だったら、

 

この沈黙どうしよう、

何か話したほうがいいかな?

でも話したいことがないな。

 

今ここで何か話さないと

暗い人とか

つまんない人とか

気を遣えない人だと思われる。

 

これ言ってみようかな、

でも勇気がなくて言えないな…

 

…という堂々巡りの末

結局何も話さないw

 

 

それが徐々に、

 

特に話したいことがないなら

話さなくてOKだし、

 

黙ってる=つまらない 

 ということじゃないし、

 

黙ってたことによって

「つまんない人」

「気を遣えない人」

って思われたなら

それは相手の感じ方だから仕方ないし、

 

言いたいことが浮かんでも

言うか言わないかは今選んでいい

 

…という感じで、

 

いま自分がどうしたいか

それに従う。

ただ、それだけでいい。

って思えるようになったんです。

 

自分も相手も信頼できるようになった

というのを感じます。

 

今はこれを言いたいから言う

今は言おうと思えないから

言わないほうを選択する

 

という自分の感覚を大事にしていると、

 

自分もそうなんだから

相手にもその権利がある

ということが腑に落ちて、

 

ますます

自分も相手も言動や反応は自由だ

ということがわかって、

 

お互い自分の感覚を大事にして

会話を楽しめばいいだけじゃん

 

…というシンプルなところに行き着くw

 

f:id:yuuhotoissho:20211011110243p:plain

 

気をつけたいのは、

 

言うこと=正解ではなくて

言わない選択肢も正解

だから

言わない自分を否定しない

ってことが大事だと思う。

 

自分に意識を置いて

それを言うか言わないかを

いま自分で選択する

 

言わないという選択もOK

言っても言わなくても

どっちでもOK

 

自分で決めたなら

どっちもOK

というところ。

 

いま自分はこう感じた。

これ、言う?言わない?

 

こういう日常での

細かい自分とのやりとりをして、

 

どっちを選択しても

自分を否定しない

今の私の選択が正解なんだ

 

っていう力強さも

大事よねって思います♡

 

朋子

ランウェイモデルにチャレンジします♡

こんにちは、朋子です。

 

12月4日土曜日のとあるイベントで

人生で初めて

「ランウェイモデル」を

やることになりましたw

 

SATOMI MIYAZAKIさんという

ファッションデザイナーさんがいて、

 

とても素敵な生地を使って

ちょっと大人っぽくて

セクシーな服を制作されているんです。

 

その方の服を着て

コレクションに出て

ランウェイを歩くモデルさんが

10名募集されまして、

 

ちょっとドキドキしながらも

オーディションを受けたら

合格したんです!

f:id:yuuhotoissho:20211007102716p:plain

『黒キンランウェイ』

といって、

10名のモデルさん、

そして運営さんたちも

みんな黒キンなんです。

 

黒キンというのは

マヤ暦で生年月日を見たときに

宇宙エネルギーが

たくさん降り注いでいた日に

生まれた人のことで、

エネルギーが強いのだそうです。

 

私は小さい頃から

「目立ちたくない」という気持ちが

結構あって、

 

いつも目立たないように

猫背になって下を向いて

大人しくしてたんだけど、

 

それって、

目立つことを知ってるから

目立ちたくないと思う訳でw

 

なのでもう、

私は目立ってしまう

どうせ目立つ

目立ってもいいんだ

目立っても大丈夫だ

 

…ということに

いいかげん許可を出す時が来た!

そのための黒キンランウェイだわ!

と思っていますw

 

zoomオーディション当日、

私は張り切って10分前から入り、

当然まだ部屋は開いてないし

誰も来ていないので

待機したのですが、

 

時間になっても部屋が開かず、

しかもなぜか入りなおせないという

不思議な現象が起こり、w

 

結局、私だけ遅刻してしまい

結果的に目立ってしまうという、

 

なんか、

どうでもいいことで

結局目立ってしまう

っていうね、

こういう傾向、ほんとあるw

 

 

…で、これはオーディションでも

話したことなのですが、

 

私はイベント系は疲れるので

ほとんど参加しないんです。

 

人が多いところは苦手で

エネルギーを消耗するから。

 

そして

ファッションとかモデルとか

ランウェイなんかも

大好きって程でもないw

 

なのになのに、

今回の募集を見て

「来た。これは絶対応募するやつ!」

ってすぐ思った。

 

それはちょっと自分でも不思議で、

なぜモデル?

なぜランウェイに応募?

みたいな感じだったんだけど、

 

時が来た、って思った。

今の私だから

ランウェイモデルというものを

楽しめるんだと思う。

だから今なんだろうな、と。

 

今までは

目立ちたくないとか

ましてやモデルなんて無理とか

そういう気持ちでいっぱいになって

楽しめなかったと思うけど、

 

今の私なら、

「私なんて」の意識が減っているから

純粋にランウェイモデルというものを

楽しめるし、

 

何より

「目立っても大丈夫なんだ」

っていう体験をするために

やるんだと思ってます。

 

…それにしても、

どの望みが

ランウェイモデルになるということに

繋がったんだろう?

 

潜在意識では

ランウェイを歩くモデルさんを見て

「素敵だなー」

「私もやってみたい」と思っていて、

 

でも無意識過ぎて

キャッチできていなかったのか?

 

あるいは、

「ちやほやされたい」

「みんなから大好きって言われたい」

「世界から愛されたい」

 

これはずっと望んでいたことなので

これかもしれないw

 

実際、運営側の方々が

とーってもちやほやしてくれるw

愛しかないって感じ。

 

あと

「もっとエネルギーを回したい」

という望みも出していたんだけど、

 

これは

目立つことに自分で許可が出せて

安心感の中で目立つことができたら、

 

自然にそうなっていくような気がする。

 

そう、私はずっと、

目立ちたい

目立ちたくない

目立ちたい

目立ちたくない

 

…ってのをやってきたんだw

 

 

…それでですね、

 

デザイナーやランウェイモデルは

マヤ暦を鑑定してもらえるという

特典がありまして、

(主催メンバーにマヤ暦のプロがいる)

 

鑑定してもらったですね、

 

な、な、なんと、

デザイナーのさとみさんと私、

『鏡の向こうキン』っていう、

 

出会える確立めっちゃ低くて

生きているうちに出会えたらラッキーで

出会えたら宇宙の後押し半端ない

お互い学び合いと覚醒が半端ない

 

っていう関係性だったんですよー!

 

だから私は今回

迷いなく応募したんだ…

 

だっておかしいもん、

ランウェイに応募するとかw

 

本当に面白いなぁー…

これはもう本気で楽しみます。

 

…ということで

ランウェイモデルという

未知の世界にチャレンジします♡

 

朋子

やりたいことをやる、その過程が宝。

こんにちは!朋子です♡

 

最近は

過去の記事を再投稿したり

ちょっと編集して投稿したり

そういう記事が多いですが

どうでしょうか?

 

自分の向き合い方についての記事は

2017、2018年にたくさん書いていて、

 

神記事✨がいっぱいあるのでw

改めて投稿しているんです♡

 

2020年あたりからは

私自身、だいぶ自己否定が抜けて、

 

ふと思い立ったやりたいことを

あれこれやってみるという、

「創造のフェーズ」に入り、

 

本当にしんどい時に

自分とどう向き合ったらいいか?

という記事が少なくなったので、

 

それを改めて投稿しています。

 

…ですが、

今日は久しぶりに

私の近況を書いてみます♡

 

…っていうか

今までも近況を書いてたら

自分との向き合い方の

実践記録になっただけなのだから

今まで通りなのだけどw

 

f:id:yuuhotoissho:20211005094721p:plain

ここ数年、

「やりたいことをやる」

ということに重点を置いて、

 

ヨガ、ベース、ドラムなど

やりたいと思ったことを

気軽に始めてみたり、

 

ラクルカードリーディングで

鑑定書を作ったり、

 

ドラム瞑想のレッスンを開催したりと

色々楽しく過ごしてきました。

 

どうも私は

やりたいと思ったことを

次々にやって

やり散らかすことが大事で、

 

続かないとか

すぐ飽きるということで

自分を責める必要はなくて、

 

やり散らかし(チャレンジ)を

人に見せることが大事な人

 

…のようです。

マヤ暦でも数秘鑑定でも

全く同じこと言われましたw

 

 

今年の春、

「歌ってみたい」という

望みが出ましたw

 

歌に関しては、

声が出ない

音程が取れない

という自分へのダメ出しが結構あって。

 

ママさんコーラス入ってたから

みんなで歌うのは好きだけど、

ひとりでは歌いたくなかったんです。

 

でも

「気持ちよく歌いたい」という望みが出た。

 

こういう、

どうせ私には無理だし

っていうような

拗ねを持ちつつ、

 

でも結構好きで

本当の本当はやってみたい

 

という感じのことは、

 

ちょっと怖くても

自分にやらせてあげたい。

って思うんですよね。

 

こういう時って、

嫌でも自分と向き合わざるを得ない

じゃないですか?

 

何がそんなに怖いのか?

それを探ると、

 

自分の歌をめちゃ否定してたり

上手く歌わなきゃと思って

全然楽しめてなかったり

自分の声が嫌いだったり

 

色々見えてくるんです。

 

それが見えたら、

一個ずつ外していって

自分を安心させてあげて、

 

じゃあどうだったら

楽しく歌える?

というところを探る。

 

…みたいな、こういう

「自分と向き合う過程」

すっごくすっごく大事で、

 

ここで自己対話して

自己否定が外れたり

新しい意識になったり

気もちがラクになったり

という経験が宝ですよね。

 

歌が上手くなってもならなくても

それはどっちでも良くて、

 

結局この、

何か新しいことをやる時の

「自分と向き合う過程」が

自分にとっての宝になる。

 

って思うんですよー!!

 

結局、

「楽しいかどうか」

っていうのが

もうほんと一番大事な訳で、

 

いかに自己否定を外して

いかに楽しんでやるか?

どうだったら楽しめるか?

そればかり考えるw

 

人前で歌いたいとは

今は思ってなくて、

(先々そうなるだろうけど)

 

とにかく今は

自分の声を好きになりたい

心地よく声が出るポイントを探りたい

というのが目標。

 

…ということで今、

お友達のボイトレを受けています。

 

ボイトレをしてるお友達が

身近に2人もいるっていう

この奇跡。w

 

だって、

ボイストレーナーの友達って

なかなかいなくないですか?

私、身近に2人もいたw

 

もうね、

2人とも大好きなので

2人からボイトレしてもらってるw

 

2人のやり方が全然違うので

ほんとに楽しくやってます。

 

ひとりは

倍音声明(ばいおんしょうみょう)

という、

瞑想も取り入れて

気持ちよく声が出るポイントを探る

というボイトレで、

 

もうひとりは

身体の使い方を細かく教えてくれる

ボイトレ

 

…ということで

どちらも私にぴったりw

 

今のところ

とても楽しくやれています♡

 

朋子

「感謝」について思うこと。

こんにちは、朋子です。

 

今日は

「感謝」について思うことです。

f:id:yuuhotoissho:20211004200936p:plain

スピ系の色んな本を読むと、

「感謝することが大事」

って書いてありますよね。

 

色んなやり方の

「感謝のワーク」とか、

「ありがとう」と唱える

アファメーションとか、

色々書いてある。

 

とにかく

「感謝が大事」ってのは

本当にその通りだし、

その理屈はわかってるつもり。

 

「ありがたい」

「あなたのおかげ」

「おかげさまで」

っていう「おかげで」の波動は、

一瞬にして自分も相手も幸せになれる。

 

エイブラハムの本に書いてある

「感情の22段階」でも、

『感謝』はダントツのトップ1番です。 

 ↓ ↓

yuuhotoissho.hatenablog.com

 

だけど感謝って、

自然に湧いてくるもの

だと思うんですよ、本来。

 

それを、

ほんとにまいってる時とか、

心底疲れてる時とか、

うまくいかなくて

頭グルグルの時とか、

ふて腐れてる時に、

 

「感謝しましょう」とか言われても、

 

いま感謝なんて

してられっか!

 

…ってなるんですよ。w

 

昔、自己否定を感じながら

感謝のワークやった時、

怒りが湧いてきて

びっくりしたんですよねwww

 

これ怒りのワークじゃん!

みたいなw

 

無理矢理感謝してみたところで

なんか歯が浮いた感じになるし、

 

心からそう思えてないんだから

心の分離感が半端なくなって

かえって気分がどんよりしてくる。

 

「感謝」って

エイブラハムの

感情の22段階で見ると

ダントツトップの1番ですよね。

 

自分の気分がどんよりしてて

22番の無気力とか

21番の自己卑下とか

下位の段階の気分にいるときに、

 

その場所で

ありがたいとか感謝しようとか

やっぱりちょっと無理ある。

 

一気に1番の「感謝」に

ジャンプしなくていい。

 

時が来たら

感謝なんて

自然に湧いてくる。

 

そう思います。

 

あーもうどうにでもなれ!

って開き直ったとたんに

気持ちがニュートラルになって、

 

そうなって初めて、

まぁこの出来事から学びもあったし

良かったかもしれないな、とか

 

不幸中の幸いだったかもしれないな、

みたいな「感謝」が

自然と湧くんだと思います。

 

だから、

 

ある程度自己否定が抜けて

エゴキン度数が減って

ニュートラルな状態になるまでは

 

ひたすら

自分をリラックスさせたり

自己否定をやめていく

…っていうことを地道にやる。

 

こっちに集中するのが

いいと思うんです。

 

逆に、

気持ちがニュートラルな状態になって

いい気分でいる時間が長くなってきたら

「感謝できることを見つける」

ということを自然にやってたわ。

…という状態になってきます。

 

朋子

感動ポイントからわかること。

こんにちは、朋子です。

 

さて突然ですが。

皆さんはどんなことに感動しますか?

(2018年7月9日の記事です)

f:id:yuuhotoissho:20211002154504p:plain

本やテレビを見て

じーんと感動するポイントって

人それぞれあって

人それぞれ違うと思うんです。

 

「こういうのに弱いんだよな~」

っていう

「感動ポイント」。

 

例えば、

・子供の歌や笑顔

・人の愛を感じたとき

・成功体験を見聞きしたとき

・親子愛を感じたとき

 

…などなど。

 

私は、人の愛を感じた時です。

特に、恋人同士とか夫婦とかの

お互い思い合ってる愛情みたいなのを

見た時に、じーんときます。

 

今日、カフェでガラス越しに

道行く人たちをボーっと眺めていたら、

老夫婦が

ベンチに腰かけて休んでたんです。

 

2人は会話もせず、

ただボーっと座ってる感じでしたが、

おばあちゃん、ずーっと微笑んでた。

 

ふたりは、話はしてなかったけど、

おばあちゃん、ずーっとニコニコしてた。

おじいちゃんも、

疲れてボーっとしてたけど、

でも穏やかな表情だった。

 

それ見てたら、

「いい夫婦だなぁ」

って感じて、じーんと泣けてきて。

 

そういうのって、

何となく雰囲気でわかりますよね。

仲いい二人なんだろうな、って。

 

あと、また別の老夫婦で、

おばあちゃんが杖をついてて、

おじいちゃんと手を繋いで歩いてて。

 

おじいちゃんが荷物を持ってあげてて

おばあちゃんがおじいちゃんの手に

すっかり頼って歩いてる感じが

すごくかわいいな~って思ったら、

またじーんと来てしまって。

 

高齢者をかわいいと思ってしまう。

これは職業病もあるがw

 

そういう、自分がじーんと来る

「感動ポイント」っていうのは、

自分の心が求めてるから

じーんとくる

ってことだと思うんですよ。

 

私は昔から

「愛されてない」

「愛されたい」

っていう気持ちが強かったので、

 

こうして、人の愛を感じると

うるっと来てしまうんですよね。

 

だから、昔から

街やスーパーで仲良しのカップルを見たり

穏やかな老夫婦とか見ると

じーんと来てしまうんですよね~。

 

ただ、

全てのカップルにじーんと来るかというと

そうではなくて、

全く何も感じないカップルもいるw

 

それは、

お互いを思い合っているという

ふたりの間に流れてる空気っていうか

オーラを感じるんですよね。

 

そういうのって、ありますよね!?

 

今日は何だか、

そういう、いい老夫婦、いいカップルを

たくさん見たように思います。

 

そういう、

自分が何にじーんと来るか、

自分が何に感動するかっていうことは

自分の心を投影

してると思うんです。

 

自分が望んでいることだったり

自分がないと思っているもの

欲しいと思っているもの

だったりする。

 

そんなふうに思います。

 

あと、私は

人がその人らしさを見せた時

めっちゃ感動します。

その人らしい言動をしたり

その人が無理なく自分を出してる時。

 

これも、私が長年、

「自分がわからない」

「自分らしさって何」

っていうことで悩み続けてきて、

 

自分らしさを見つけて

自分らしい生き方をしたいと

思ってきたからこそ、

「その人らしさ」を見た時に

感動するわけです。

 

そうやって、

自分がどんなことに心動かされるか、

そこを見ていくと

自分を知るきっかけになりますよね。

 

まぁ、私はエンパス体質なので

感動屋なのですがw

 

朋子